• やすおか宏武

5/30(木)「故 保岡 興治 送る会」東京

令和元年5月30日(木)、東京で執り行われました、「故 保岡 興治 送る会」におきましては、多くの皆様にご参列いただき、誠にありがとうございました。


故 保岡 興治 送る会







また、実行委員長を務めてくださった二階先生、神戸会長、そして安倍総理、大島議長、山崎先生、増田先生、糸様には追悼のお言葉もいただき、誠にありがとうございました。



このように多くの方がお越しくださったこと、父もさぞかし喜んでいると思います。

父に代わって心より御礼申し上げます。

父、保岡興治の人生を振り返ると、正に『政治一筋』の人生でした。

昨年の日経ビジネスの記事に「誰も気が付かないうちに改革を準備し、成し遂げるそれが一級の政治家の仕事」という父の言葉が載っていますが、そんな矜持を持った政治家でした。


とりわけ父がこだわったのはローメーカーとしての使命でした。

「伝統的工芸品産業の振興に関する法律」いわゆる「伝産法」を作ることからその歩みは始まりましたが、この時父はまだ1回生。


奄美の伝統産業であった紬産業を保護するために、島の方々の声に耳を傾け、それに応えたいと願い、様々な方に働きかけ、お一人お一人を説得して、この法律の制定にこぎつけたそうです。


「みんなが喜んでくれるから…」と父はにこにこして話をしてくれました。

自分の名前を残すことより国民が喜ぶこと、そのことが父の喜びでした。


また、語り継がれる当時の苛烈を極めた奄美の選挙、父が「地獄だった、本当に政治家を辞めようと思った」とまで言ったこの選挙に教訓を得た、「政治腐敗防止法」、小選挙区制の導入等の一連の政治改革や様々な司法制度改革、裁判員制度を実現したことも父の大きな仕事でした。


知的財産、所有者不明の土地の問題、医療安全管理委員会の設置や品確法の制定等、常に困っている人の話をよく聞いて、それに応えること、難しくとも国家国民にとって大事なことはしっかりと実現させる、それを使命として取り組んできました。


ライフワークとして取り組んできた憲法改正も、まさにそんな父を象徴するテーマでありました。

一年半前、そんな政治一筋に取り組んできた父が膵臓がんを患いました。

しかしそこからも父は更に人間として変わってゆきました。


このように父は申していました。 「人生の最期は、ピンピンコロリが良いと思っていたが、癌になって今は本当に良かったと思っている。

癌にならなければ見えなかったことがある。

自分の人生を振り返る時間も持てた。

多くの感謝を伝える時間も持てた。

そして何より、寄り添うことの大事さ、本当に人の声に耳を傾けることの大切さを教えてもらった。」


そして亡くなる数日前、お世話になった医師には 「先生、私はよく戦えているでしょうか。」とも聞いていました。


病や自分の運命を引き受けながらも、人のため、国のために最後まで少しでも長く生きること、病と闘うことも諦めない、そんな父の美学を最後まで貫いた生き様でありました。

そのような境地に至った背景には、晩年父が尊敬し、師事していた高橋佳子先生の存在があります。


病と対峙する父に多くの示唆を下さり、父に寄り添い、父が人生をかけてきた様々な仕事にも大きな理解をお示しくださいました。


亡くなる前日、高橋先生との会話で父はこのように申したそうです。

「今の時代はもの凄い勢いで変わっている。 この変化とスピードの時代に生き残るのは、強い者、能力がある者ではない。 かつて最強の生き物だった恐竜が時代の変化に適応できずに滅びたように、生き残るのは、変化に合わせて自分を変えられる者だ。 次の時代のために私たちは意識を、時代に向かう心を変えなければならない。」


自らの心に向き合い自らを変え、今際の際まで未来を見据え、父は最後まで政治家でした。

今、あらためて父の人生を思う時、息子という立場を超え、一人の人間として心からの尊敬と憧れを抱きます。


私に残してくれた最大の父の遺産、それはその生きざまであったと今強く感じています。


父を亡くして尚、私の周りには父の様に私を励まし叱咤激励を下さる大先輩方がいて下さいます。

父の分まで親孝行をしたいと思う母がおり、その母の様に心配してくださる多くの方々がおられる。

そして妻や兄妹、家族たち、その家族の様に私を支えてくれる多くの仲間がいる。


父は私に「お前はお前のやり方でやりなさい」と言いました。

私は、私のスタイルで、対話と人とのつながりを大切にし、しかしその精神は父から学んだ、常に国の行く末を見つめ、命をもかけた真の責任をもった政治家の使命感を持って、チャレンジをして参ります。


父がお世話になった多くの先輩方、そして私を支えてくれる若き多くの仲間と共に、この国の宝、未来を担う子供たちにより良い社会をしっかりと繋いでいく、父がそうしてくれたように。


そしてまた、父興治が見ることのできなかった新しい令和の時代、父の見果てぬ夢の先にも想いを馳せ、覚悟と勇気をもって精進してまいります。


常々私に父はこう申してました。

「俺は名前と信用を残した。

それをどうするかは、どう物にしていくかお前次第だ。」


今はきっと空のかなたで、あの笑顔で、父はこう言っているでしょう。

「吉報をここで待つ!」


若輩で未熟者ではありますが、気迫と情熱は父にも、いえ誰にも負けず強く持ってこれから精いっぱい努めて参ります。

最後に、「私の人生は本当に最高だった。感謝、感謝しかない。全てに感謝だ。」と父が申しておりました。


掛け外の無い父の人生、掛け外の無い多くの出会い。本日お越し下さった皆様、お越しになることができなかった皆様、父の人生で出会ったすべての皆様から賜りました父保岡興治へのご厚情に対し、亡き父に代わり心から心から御礼を申し上げます。


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